藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2004年6月3日木曜日

検索エンジンの未来 – GoogleはHALになれるのか?-

(2004年6月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました)

 インターネットの中に存在したHAL
かつてコンピュータの理想的な未来はAI(人工知能)であり,わからないことはコンピュータに聞けば瞬時に答えてくれるようになるはずであった。映画「2001年宇宙の旅」に登場したHALは巨大な記憶装置らしきものに様々な知識を蓄えていたようであり,それをもとに宇宙船をコントロールしていた。2004年に生きる我々は残念ながら映画の予測と異なりHALレベルのAIは手に入れていないが,パソコンのブラウザの入力フォームに知りたいキーワードを入れれば,おおよその知識は瞬時に手に入れることができるようになった。HALほど賢くもなく,記憶容量も大きく無いPCで,HALも知らないような今日地球のどこかの街でおきた事件も知ることができるようになったことは,ある意味人類の想像を超えたとも言えるかもしれない。ひとつのコンピュータを人間の頭脳に近づけるアプローチは難航したが,全人類の知識を少しずつインターネットという巨大な分散コンピュータの中にちりばめるということには我々成功した。今やインターネット上の知識は日々膨大な量が増加し,変化し続け,どんな巨大なメモリにもハードディスクにも納めることはもはや不可能であろう。インターネットは全人類が共有できる巨大な頭脳になったと言っても過言ではない。そしてその巨大な頭脳との間のインターフェイスとして「検索エンジン」はもはや必要不可欠であり,その存在無しではインターネットもここまで利用が進まなかったという意味で,その役割は今後ますます重要になるのではないかと考える。

○日本における検索エンジンビジネスの歴史
検索エンジンの歴史はWebの普及とともにあった。1994年になり日本でもWebサイトが毎日少しずつ増えつつあった頃,Webサイトをディレクトリ化していたNTTのページ(当時はNTTディレクトリという名前でボランティア的な運営であった)はすでにポータル化しており,日本で一番アクセスが多いサイトのひとつであったことは間違いない。やがてCSJ(サイバースペースジャパン)のようなベンチャーが登場し,Yahoo!も日本でスタート,ディレクトリ型の検索エンジンにバナー広告を付けるという形でビジネスがスタートした。しかし,インターネット上のWebサイトの増加が指数関数的な伸びを見せる中で人力が中心のディレクトリ型の限界も見え始め,それまで一部の技術的な試みであったOpenTextAltavistaなど現在主流のロボット探索型の検索エンジンに注目が集まり, Infoseek,Exciteなど現在のポータルサイトのベースになるサイトが次々と立ち上がった。しかし,初期のエンジンはアルゴリズムが単純であったため,サイト数がさらに増加し,アダルトサイトなどが検索エンジンにわざとひっかかるような仕掛けを始めると,検索結果が必ずしも適切でないものが増えてくるようになり,自分が探しているページを見つけるのにとても時間がかかるというような状況も現れた。多くのポータルは検索よりもコンテンツ充実の方に力をいれ,利用者の集客はコンテンツの魅力の方にシフトしようという方向が一般的になりはじめた。
そうした中で1998年に登場したのがGoogleである。Googleは膨大な量のインデックスデータを処理し,最適な検索結果を得られるアルゴリズムを実装し,従来よりも格段に望んだ結果が表示されるようになった。2000年には日本語でのサービスもスタートし,ヤフーもGoogleをエンジンで利用するようになると,再びインターネット利用で検索エンジンを活用する人が増加するようになる。2002年からキーワード広告がスタートすると,検索結果と連動するビジネスモデルが確立し,ECサイトや各ポータルの戦略も検索エンジンの影響を大きく受けるようになる。SEOと呼ばれる検索エンジンに効率的にひっかかるようにするためのコンサルティングビジネスも急拡大してきた。

広告ビジネスかマッチングビジネスか
Yahooのトップページのバナーがとても高いのはテレビのゴールデンタイムの広告料金が高いのと理屈は同じである。インターネットに従来の広告モデルを当てはめたという意味ではバナー広告を開発した人は偉いかも知れない。しかし,同時に見たくもないバナーを見せられるという違和感を感じていた利用者も少なくないだろう。インターネットの場合はバナーを見た後に行動したかどうかがクリックスルーレイト(バナーを見て,押した率)などで把握できるために,広告効果が厳しく判断される。しかし,インターネットが一般化し,全体トラフィックが増える中でその率も低下していくため,インターネット広告を販売している人々はテレビと同じ間接的なブランディング効果を訴えるようになっていった。そうした中でスタートしたオーバチュアとGoogleが検索結果に連動する広告モデルは広告主からしたらとても嬉しいものであった。これまでも検索キーワードにあわせてバナーを変える(車と入れた人に車のバナー広告を見せるなど)という試みもあったが, 検索結果そのものもしくはその側に違和感の無い形で表示される広告は利用者から見たら,もはや広告では無く,自分の求めている情報のひとつとして捉えることができるようになった。従来ようにターゲットを絞り(男性,30代,都内在住,車所有,多分欲しくなる可能性あり!)広告をリーチさせていくモデルではなく,今まさにその情報を求めて行動を起こしている人(誰かわかんないけど,今すぐ欲しい!)に,リアルタイムで探している情報に近いサービスや商品を売り込めるわけであり,ここまで来ると広告というよりはマッチングビジネスに近い世界に入っていると言える。広告の価格もオークション方式なので,人気があるキーワードは高く,そうでなければリーズナブルに購入できる。当然,これまでのポータルサイトも大きく戦略を変えてきているYahoo!はオーバチュアを買収し,これまで利用してきたグーグルのエンジンの利用を中止し,これまで買収してきた様々なサーチエンジンの会社の技術を結集させた独自のエンジンに切り替えた。Googleも現在は10億ドル近い売上の95%は前述のアドワーズと呼ばれる検索ワードを買う広告が占めているが,情報配信やブログ,ソーシャルネットワーク,無償メールサービスなど検索エンジン以外のサービスも次々と追加し,株式公開も準備し,資金も調達することから,Yahoogoobleがポータルとしてついに全面対決をする構図が見えてきている。

○検索エンジンの未来
検索エンジンの発展はまさにポータルサイトの歴史でもあった。なぜ検索エンジンがポータルになるのかと言えば,見た目はWebページのひとつにしか過ぎないが,人間が膨大なWebの世界へアクセスするための最良のインターフェイスであるからに他ならない。今後はこのインターフェイスを最適化するための試みが鍵になると言える。これまではWeb側はHTMLとわずかな検索エンジン用の情報を提供するだけであった。それを力業で処理しているGoogleには頭が下がるばかりであるが,今後はその効率化のためにWeb側も意味を持つ情報を提供するようになるだろう。Web側からサイトの更新情報や伝えたい相手などを伝えることができるようになり,リアルタイムで検索結果に影響を与えるようになるだろう。現在でもRSSの機能を使い,実現しようとしているサービスも出てきているが,本質的にはXMLWebサービスのテクノロジーが主流になるのと期待される。まさにセマンティックwebという考え方検索主導で実現に近づくのかも知れない。そうすれば,自分のPCの中にある電子メールやPPTなどのデータもシームレスに検索できるようになり,生産性は非常に高まることが期待できる。
インターフェイスは人間側も大きく変化することが予想される。すでにYahoo!が行っているように個人のカスタマイズ化は最初に進むであろう。自分のこれまでの検索パターンなどを理解してもらうことでより精度の高い結果を出す試みはGoogleなどでも準備されているようだ。日本では日本語入力のATOKなどと連動してくれたりすると便利だろう。キーワード入力だけでなく,自然言語や対話型も出てくるのだろう。もうひとつの大きな変化は表示方法である。SEOビジネスが盛んな理由もキーワード連動の広告が指示される理由も大多数の人が検索結果の最初の数ページしか見ないというところにある。ひたすらGoogle1ページ目に表示されるように毎日命かけている職業が存在しているのも,つまるところページ方式で表示する現在の画面インターフェイスに依存している部分がとても大きい。しかし,膨大な量がひっかかった場合には,その分類や分布の把握などをしたいというニーズも当然のようにある。むしろみんなが知らないマイナーな情報を探している人もいる。こうした検索結果をビジュアルで表示したいというニーズはすでにでてきており,例えばGrokker(http://www.groxis.com/)という結果を自動的に体系化しマッピングしてくれるソフトまで登場してきている。筆者は個人的には3次元の本棚のインターフェイスでGoogleの結果が出てきてくれれば,それを見渡すだけで素晴らしいアイデアがいっぱい生まれそうな予感がする(図書館や本屋を歩き回っていると何気ない発見があったりするものだ)。冒頭で述べた通り,インターネットが人類の知の集積である以上,それを有効活用し,新しい知を創造するためにはまだまだ情報の出し方,見せ方には技術革新の余地が大きいと考えている。また携帯との連動も楽しみな分野である。街の中で自分の欲しい情報に瞬時にアクセスするニーズは大きく,ボイスXMLという技術があるが,音声でのインターフェイス対応も含めて期待したい。当然インターフェイスをいじると現在のトップにでるキーワード連動広告も形は変わらざるおえないと思うが,より利用者が望んでいることが把握できればマッチングビジネスの可能性は高まることになるだろう。そういう意味では大きな期待ができるビジネスモデルとしては課金モデルがある。顧客ニーズが把握されている以上,付加価値の高い役立つ情報をリアルタイムで提供する際に有料でお金を払うモデルが成り立つ可能性は高い。一回10円や100円というマイクロペイメントモデルが検索エンジンと組み合わせることで,検索結果の中にそのまま購入できる新聞記事,音楽,映像などのデジタルコンテンツが出てくれば購入率も非常に高いだろう。誰もが実現したかったモデルである,知識流通ビジネスにも大きく貢献することになるだろう。

このようにGoogleYahoo!の発展はインターネットをひとつの巨大なコンピュータにしていくプロセスと言えるだろう。どんどん複雑化する検索アルゴリズムはやがてHALのように自分の意志を持つようになる日がくるのだろうか。

2004年4月12日月曜日

食玩CDに見るデジタルコンテンツビジネス成長の鍵

(2004年4月日本経済新聞電子版の「ネット時評」に掲載されたコンテンツを編集しました)

タイムスリップグリコといういわゆる「食玩商品」が昨年ヒットした。チョコレートになつかしのLPレコードを再現させたCDシングルがおまけで着いているもので,買い占める人もたくさん出たと言われているが,その第二弾が最近発売された。今年はすでに多くの会社が類似商品で参入しており,中には入浴剤にCDを付けたものまで発売されている。そのためここ数年生産数量が毎年低下していたCDシングルも,昨年から一気に生産数量は増加に転じる影響が出ている。
一方,着メロの普及はJASRACの昨年度の著作権使用料において,レコード販売の減少分を着メロを中心としたインタラクティブ配信が全て補う形になり,ちょうど前年並みとなった。今年はさらに着メロから着うたが主流になりつつあるが,おかげで今度は歌手や演奏者にも収入が発生することになり,音楽業界の救世主になっている。
ここで注目するべきは,こうした動きは音楽業界主導で生まれたわけではなく,周辺の業界が生活者のニーズや驚きや感動をどのように作るかを必死に考える中から生まれたビジネスモデルである点である。他の多くの商品がそうであるように,すでに成熟化した日本の市場においては,商品そのものへの欲求よりは,それを利用する利用シーン(時,場所,一緒にいる人達,心理的状態等)などによって,商品の価値は大きく代わり,欲求や価格なども変化することになる。音楽も例外ではなく,カラオケではコミュニケーション媒体になったり,着うたはわざと人に聞かせたいという自己主張の手段でもあるため,家の中だけでじっくり音楽を聴く市場は小さくなっている。
現在音楽業界では,WinnyなどP2P型のファイル共有ソフトによる違法コピーの蔓延でCDの売上が低下することを恐れている。確かに今のままではその傾向も増えるかも知れない。しかし,それはCDを中心としたビジネスモデルしか利用者に提供しない場合は当然その方向に向かい防ぐことは不可能であるだろう。現在の音楽業界関係者の中で友達から借りたレコードをカセットテープにダビングしたことは一度も無いなどという人はほぼいないだろう。音楽大好きな少年達にとって,それは重要な音楽を聴くための手段であり,FMラジオをエアチェックすることはオーディオ業界含めた大事なライフスタイルであったはずである。そうしたニーズは永遠であり,少しでも音楽を楽しむために,ファイル交換を行うニーズは止めることはできないだろう。大事なことは,常に新しい音楽を楽しむ手段とビジネスモデルを創造し続けることである。米国でもアップルが99セントで音楽を販売し,かつてのウォークマンのようにiPodでそれを楽しむというライフスタイルを提案し,一定の成功を収めた。日本でそのモデルが成功するかどうかは日本の文化的にも未知数だと考えられるが,これだけデジタル技術が大いなる未来を見せている中で,短期的な収入源を恐れるだけでは,既得権益を必死に守ることしか考えない衰退産業そのものである。

音楽がチョコレートや入浴剤と一緒になって売れるように,エステやレストランで音楽を販売することもあるだろう。自由な発想の中で流通の権利を守るためのビジネスモデルから,利用者が音楽でどれだけ楽しめるかをベースとした提案型の発想でコンテクストを作りビジネスを展開することが,デジタルコンテンツビジネス市場を成長させるひとつの鍵である鍵ではないだろうか

2004年3月26日金曜日

出会い系というビジネスモデル -社会悪か?社会システムか?-

(2004年3月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました) 

出会うという欲望 
「出会い系」というと何を連想するだろうか。新聞紙面を見ると毎日のように「出会い系で出会った男が女性を殺人!」や「高校教師が出会い系で出会った未成年の女性と援助交際で逮捕!!」などの見出しが踊っており,ダークなイメージは強烈である。もっともこうした状況は一昔前に流行ったパーティラインやテレホンクラブでも同じような現象が起こっており,世間一般の扱いはそれらと同様の風俗産業的な印象として捉えられているだろう。警察の対応もテレホンクラブを未成年が利用することが急増したときに,規制強化に動いたのと同様の素早い対応を見せている。すでに児童犯罪の温床として厳しい規制をかけはじめており「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律」が施行されている。 
実際,風俗産業のようにビジネスをしている事業者も多く,さくらを雇って(テレホンクラブの時はさすがに女性の声が必要なのでおばさんのアルバイトなどが話題になったが,ネットの場合はテキストなので男の方が男性心理を理解できるということで男性がアルバイトしていることもままあるらしい。)まで利用者を増やし稼いでいるところも多いと言われている。それでも課金がハードルと言われるネットビジネスの中で月300円から1万円ぐらいまでのバリエーションはあるが,かなりの会員を獲得しており,月商数千万を越えている事業者も多数出現しているらしい。大手で有名なエキサイトのエキサイトフレンズでは会員数が300万人を越えており,このサービスだけで月商も数億円に達していると見られる。このように出会い系はすでにネットビジネスの中でも大きなサービスとして成長しており,その欲望の大きさがわかる。そもそも不特定多数の男女が出会いを求めて集まるサービスのニーズは昔から高い。米国では大手の新聞でも個人広告の欄は昔からの定番であるし,合コンのような出会う為のパーティは恐らく日本中で夜ごと何万組という集団が開催していることだろう。中でも通信サービスはその進化とともに常に男女の出会いサービスの登場を促した。交換機の高度化で可能になったパーティラインやテレクラなどもそうであるし,日本ではキャプテンと呼ばれたビデオテックス網サービスで,世界で唯一成功と言われたフランスのミニテルの成功要因は出会い系サービスが用意されていたからだと言われている。男女の出会いに対する欲求は人間の根元的な欲求であるため,ビジネスとして成立することもある意味自然なことであろう。かつてVTRの普及を後押ししたと言われるアダルトビデオもインターネット上ではVOD(ビデオオンデマンド)としてこちらもすでに一大産業になりつつあり,ITサービスと性的欲望を切り離して考えることは不可能に近い,しかしだからと言って出会い系を風俗産業と決めつけてしまうことも問題である。確かに未成年者の利用や犯罪の温床になりやすいことは確かであり,それを防ぐ手だてを考えることは重要ではある。しかし,出会うという行為は人間社会を形成していくための基本的な行為であり,現在ではネットが出会いの場になって結婚したカップルの数もかなりの数になる。さらにインターネットの出会い系がこれまでのテレクラなどと異なる点は男女の出会いという意外の出会いを実現する仕組みとして大いなる可能性を見せている点であり,その可能性をせばめることだけはしてはいけない。オークションサイトは不要になった自分のハンドバックを買いたい人を見つける出会い系であり,それによりわずかなゴミが減りと地球の資源のいくばくかは救われている。足が不自由な人にとって「みんなのゴルフ」はオンラインゲーム上でゴルフ仲間を見つける出会い系であり,みんなでゴルフをラウンドする楽しむを味わえることができるようになった。数年前に一世を風靡したマーケットプレイスもビジネスパートナー同士の出会い系であるし,現在でも大企業から中小企業,自営業者までインターネットで出会ったところとビジネスをしている企業ははかりしれない。米国ではeBayは中小企業向けサービスに最近力を入れているが,eBayでビジネスをしている企業はすでに50万社もあり,eBay経由での商品の仕入れ額は20億ドルを越えていると言われている。また日本でも金型制作の企業同士をつないだマーケットプレイスで有名なNCネットワークは最近では中国の企業と日本の中小企業を出会う仕組みも構築しており,まさに中国市場と手を組む中小企業の見方となっている。これらの中小企業はこうしたインターネットで不特定多数の企業と出会える仕組みが無ければ,大企業の下請けを続けるか,電話帳で片っ端から営業をかけるか,中国で行脚をするかしか手だてはなかっただろう。 

出会い系の新しいアーキテクチャ「ソーシャルネットワーク」 
このようにインターネットの本質的な機能として,マッチングするという機能がある以上出会い系そのものを否定することは,ある意味インターネットの持つ大いなる可能性そのものを否定することになる。男女の出会い系がもたらす問題から出会い系を社会悪のように捉えるべきではないだろう。むしろ,問題点を解決する努力を行い,出会い系をよりポジティブに進めていくことが必要である。そのためにはお互いの信用担保のメカニズムが鍵になる。オークションサイトでは仲介事業者はフィードバックレイティングなどを盛り込み信用をどのように与えるかで工夫をしている。もちろんそれでも詐欺などの悪意ある犯罪が起こるのは事実であるが,それを100%防ぐことはできず,可能な限り減らす努力を行い続けるしかない。そうした中で最近話題になっているのがソーシャルネットワークと呼ばれるサービスである。友達の友達は友達だという仕組みで,友人関係同士をベースとしている。先ほどの信用のメカニズムでいえば,評価も友人の評価である。確かに男女の出会いでもナンパされたのは印象が悪いが,友人の紹介だとイメージがよい。そうした仕組みを利用し,Linkedinは人材紹介の仕組みを作り上げている。職務経歴書が公開でき,友人にReferenceしてもらえる。Googleが提供していると話題のOrkutは男女の出会い系の仕組みとして機能している。ソーシャルネットワークサービス自体はまだ無料で提供されているものが多く,有料制,アフリエイト,広告などビジネスモデルについては模索中であるが,出会い系の新しい形態としては注目する動きである。 

○「個」の社会を支える出会い系 
これまでの我々の社会システムはある意味出会えないことを前提にした社会システムであった。個人がアクセスし,コントロールできる情報力に限界があった時代は組織を作ることでその力の弱さをカバーするしかなかった。情報伝達が十分にできないことを前提に作られた組織モデルがまさにピラミッド型組織である。例えば司令部から離れたところで戦争をしている時,現地の軍隊の状況は簡単には本部の司令官には届かないため,迅速な意志決定は常にその場その場の最上位の指揮官に委ねられる。そのためには階層構造が必要であった。しかし現代のハイテク軍隊は全ては無線で司令部とつながっており,司令部の指揮官が個人個人とコミュニケーションしながら戦えるようにもなってきた。つまり個人個人が自立した個としてコミュニケーションできる存在になったということである。この構造は一人の自立した個人同士が必要に応じて「出会える」ことで従来の組織への依存度を減らすことを意味する。まさに男女の出会いも従来は組織依存であった。村社会の中での長老に決めてもらう,地域コミュニティの中でのお見合,企業がお嫁さん候補として女性社員を雇う時代など出会いは組織体の信用構造の中でメカニズムとして作られていた。しかし,出会い系は自分一人の力で数多くの中から自分に会う女性と出会うことを簡単にしている。つまりこのことはインターネットが組織に依存した個人を一人一人の個として解放し始めていることを証明している。個人の力はインターネットにより確実にエンパワーメントされており,恋愛も仕事も趣味もボランティア活動も大きな組織に属さなくてもかなりの活動ができるようになってきている。例えば明日大企業をあなたがリストラされたとして,かつては途方にくれるしかなかった。職業安定所に行って新しい仕事を探すぐらいしかなかったかもしれない。しかし,今は自分のやりたいことを理解してくれる相手を世界中から見つける道具はあなたの目の前に存在しており,その仲間やお客さんを捜すことは決して難しいことではない。現在の風俗のような出会い系で普通の16歳の女子高校生が日本中の大人達に自分の魅力をアピールできていること自体がインターネットの強力さを実証している。それが性的な魅力だけになれば風俗であろうが,芸術分野やビジネスのスキルであれば,誰もが後押しする話になるだろう。そういう意味では出会い系こそが自立した個人を中心にした社会システムを構築するためのもっともベースのビジネスモデルであることを再認識する必要があるのではないだろうか。 

これまでの社会システムは組織という単位を中心に構成されていた。それは行政もその方がコスト的にも色々な意味では管理しやすく,個はとても弱い存在であったからである。税金や保険も企業を通じて徴収する方が効率的であるし,社会単位としても家族という単位で捕捉しておいた方がわかりやすい。しかし,インターネットの普及とITは個の力をエンパワーメントすることに成功した。個単位で管理することを現実的に可能にしたし,実際の単身世帯は老人から若者まで増加している。社会保険制度の議論でも家族に従属するものとして個として無視されてきた専業主婦の考え方を変えるなど少しずつ社会の最小単位を一人の個とし意識する動きは出始めており,この動きはますます広がるであろう。企業も個の集合体として動的に変化しつづける組織になるだろう。家族の考え方も変わるかもしれない。結婚制度も離婚はする方が普通になり,常に個々の状況の中で最適な組み合わせを何度も構築するようなスタイルになるかもしれない。ある意味個は自立すればするほど,個同士のつながりを求め,常にそれを最適化する欲求は高まる。自立した個同士がつながりあう姿こそ,自律分散型のインターネットのアーキテクチャに他ならない。つまり信頼性が高く個人個人の自己実現と生き方の選択肢を手に入れるためには,様々な「出会い系」が用意され,それを自立した個人として自己責任を教育された個人が利用できる社会システムこそ。これからの豊かな社会のアーキテクチャを指し示しているのではないだろうか。

2004年3月1日月曜日

地域再生と知識社会のために必要な図書館再構築

(2004年3月日本経済新聞電子版の「ネット時評」に掲載されたコンテンツを編集しました)

地域再生と知識社会のために必要な図書館再構築

○制度疲労が進む図書館
図書館の制度披露の問題はここ何年も指摘されてきているが,地方自治体の財政難がますます顕著になる中でさらに問題は深まっている。追いつかない膨大な図書の収集,年々複雑に進歩するITへの対応の困難,そして一般に流通している有料書籍を無償で貸し出す仕組みに著作者,小売店からも疑問の声が増えている。貧しい時代はシビルミニマムの概念に入っていたかも知れないが,豊かになった現在では民業圧迫のひとつとしてやり玉にあがっている。現在の図書館法は昭和25年に作られたまま細かな改正しか行われていない状況である。もちろん図書館の職員の人々も解決策を模索はしているが,司書を中心とした制度の中では,民間人の登用は進まず,古い制度の中でもがいている感は否めない。

求められるビジネス図書館
そうした状況の中で,近年ビジネス図書館に対するニーズは高まっている。これまでビジネス図書館は専門図書館の一部として,企業内や特定業界の資料のアーカイブ的な側面が強かったが,ベンチャー起業家,SOHOの増加などからも公共図書館レベルでも強いニーズが顕在化している。米国などではNPOなども活用しながら,公共図書館でも様々なビジネス支援サービスが充実しており,図書館が起業の拠点となっている。日本の公共図書館の中でも先進的な取り組みで知られる浦安図書館でも10年ほど前からビジネス支援サービスを展開しており,評価は高い。しかし, ほとんどの公共図書館においてはまだビジネス支援に対する取り組みはほとんどされていないのが実情である。一方民間の図書館の中でもユニークな例が出てきている。筆者もメンバーになっているが,六本木ヒルズのアカデミーヒルズライブラリーは社会人向けスクールの学生の学習拠点と会員制の知の交流を促す知的スペースや会議室など施設を組み合わせたとした新しいスタイルの図書館を目指している。実際ベンチャーのスタートアップの拠点としても活用しており,筆者が見ているだけでも3社ぐらいはオフィス代わりに活動をしている。さらに弁護士からベンチャー経営者,ジャーナリストなど多様なメンバーが会員にいることから交流も自然発生的に生まれており,その中から新しいビジネスアイデアを生み出すような場が生まれつつあるところも期待できるところである。

地域のナレッジセンターとしての位置づけ

地域の産業メカニズムは危機的な状況におかれているところも多い。サービス産業のチャンスの多い大都市圏は別として中国などへの工場移転などから,雇用の創出力が衰えている地方都市などでは新しい成長産業の誘致や育成にやっきになっている。しかし,本来地域経済においては地域密着型のパン屋さん,工芸品,観光業などマイクロビジネスの積み重ねなく,ウルトラCの目玉を作ることは難しいはずである。しかし,現状は地元の人がそうしたマイクロビジネスを立ち上げようにも,地域に根ざした知識情報を集約されているところは少ない。県立や国立大学がその役割を果たしているところもあるが,街の飲食店のオーナーが観光客向けに新しいメニューを考えるための情報収集と交流拠点などは大学というよりは身近な拠点が欲しいはずである。筆者はそうしたニーズに答える拠点こそ今後の図書館のあり方だと考える。もちろん起業を促す箱物のインキュベーションセンターは各地に点在しているが,ITインフラと家賃が安いだけで箱だけというところが多く。活用されているところは少ない。今後知識社会に向けて日本国内で起業する多くの人々にとって何よりも必要なのは,箱ではなく,技術と文化に根ざした知識の取得と創発できる多面的なネットワークと資金を手に入れることである。そのために図書館はどこでも手に入るベストセラー小説を貸すよりは,地域に根ざした技術と文化,ライフスタイルに関する知識の確実な時系列での蓄積と,広く人的交流を提供できる運営体制に今すぐにでも方向転換するべきである。図書館の箱を作ることにPFIを導入したから民活だという地域もあるようであるが,作り方ではなく,本質的な図書館の役割から,民間やNPOの力を導入し,閉鎖的な運営体制の改革も行う時は来ていると考える。地域のITインフラの議論は終わったわけではないが,自律的な進展が期待できる段階に来た今後は,上流のレイヤーである知識サービスの充実こそがITも絡めた地域再生の本質的な切り札ではないだろうか。

2004年1月19日月曜日

知識流通ビジネスの夜明け ブログが銀行になる日

(2004年1月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました) 

○工業製品のしもべとなった知識 
昨年ネット業界で大きく話題になったブログだが,日本でも大手のISPが次々とサービスを開始し始めており,今年も多くのブロガーがデビューすることになるだろう。こうしたブログ上にのる知識の量は膨大なものがある。基本的には個人HPと同じで玉石混淆の情報の集まりではあるが,HPの垣根が低くなり,高速常時接続でストレスが減ったことで,文章での発信能力のある人であれば誰でも情報発信ができるようになったことは大きい。Googleなどの検索エンジンでも最近はブログの情報が上位にあがるようになってきている。このように世の中の様々な知識情報がデジタル情報になってきている中で,これらを価値化し,ビジネスに繋げていくことは皆が考えていることであるが,現在のブログはまだ試行錯誤であり,現段階では明確な「ビジネスモデル」は見えていない。ISPが提供している場合は自社の顧客向けサービスとして顧客であれば無料で利用できるものが大半である。 
確かに知識をビジネスにするのは難しい。筆者も10年以上シンクタンク,コンサルティング業界に身を置いているが,シンクタンクのように社会への政策提言などは誰もが重要性を認めてくれるような知識だとしてもスポンサーがいなければなかなかビジネスとしてはやっていけない。コンサルティング業界も最後に費用を決める時は「知識」の価値ではなく,人月計算を行い「労働時間」で行うことがほとんどである。つまり頭脳労働のふりをしていても,実態は時間給で働いている労働集約産業と同じ構造である。これはシステム開発のSEの仕事でも顕著な傾向であるし,知識ビジネスの頂点と思われている弁護士ですら費用算定の基準は時間になっている。ソフトウェアや知財ビジネスも現在の産業分類では第三次産業と呼ばれるサービス業であり,労働時間をサービスする産業という範疇を越えていない。これまで知識の流通でビジネスするという意味では成功している代表的な方法論が「パッケージ化」という手法であった。書籍,CD,ソフトウェアなどは物理的な媒体に知識を刷り込み販売することで,工業製品に価値を転嫁し,第三次産業を第二次産業化するという方法をとった。そのため,大量生産と大量流通によるビジネスモデルが確立でき,そのおかげで知識情報だけで財をなす人が出てきたのも事実である。しかし,このモデルの欠陥は工業製品となってしまったが故に,本当に役立つ一言でも,無駄な1000ページでも価格が同じなど知識価値の差は出しにくくなってしまった。また在庫が存在するため,回転率よく売れる知識(商品)が何よりも優先される。もちろん中にはマイクロソフト社のように驚異の利益率で知識を販売する手法を確立する会社も出てきてはいる。 

○知識を価値ビジネスとして流通させる「はてな」 
インターネットの普及が見えてきた頃から,従来の工業製品のしもべにならずに知識を流通させることができるモデルの可能性を多くの人が夢見てきた。しかし高速常時接続環境は先に音楽や映像などの著作物を勝手にP2P型で流通させるという先鋭的な形を一気に顕在化させた。デジタル化された著作物の新しい流通モデルは既存のモデルとの整合性に苦闘しながら挑戦が続いている。現在はアップルのiTunesの成功による少額でのダウンロードモデルに注目が集まっているが,まだまだ様々な取り組みが行われるだろう。しかし筆者がもう一方で注目しているのは個人個人の知識を価値として貨幣経済とリンクさせる流通モデルである。例えばカナダの「blogging network」というブログでは一律徴収価値分配モデルを実践している。このブログでは全員の利用者から毎月6ドル近くを徴収しているが,その半分の3ドルはその人が見ていた他のブロガーに読んだ量に応じて分配されることになる。このモデルでは価値のあるブロガーの人により多く収入がもたらされる仕組みになっている。(この情報も有名ブログDashiblogからの引用)。 
日本で注目されるのは「はてな」という質問サイトである。質問サイトはこれまでも代表的なものに「OKWeb」があったが,こちらはポイント制で質問に答えてポイントを貯めると景品に変えられるなどのインセンティブの仕組みであったのに対して,はてなはそのままポイントを現金に換えることができる。はてなのポイントの仕組みは質問者がポイントを購入し,質問し,回答者の回答に応じて,質問者が手持ちのポイントを役に立った回答に振り分けるという仕組みになっている。つまり価値の大きさに応じて支払う価値を変えることもできる。中には質問しっぱなしやキャンセルの人もいるわけだが,それを防ぐために回答者は回答時に質問者が過去にどのくらい質問料を支払ったのかという評価を見ることができ,イタズラなどを防ぐ仕組みも装備している。またはてなはビジネス向けの会員もあり,月額の定額料を支払うといくつでも質問できるビジネスマン向けのサービスもある。 
はてなは当初は「人力検索エンジン」ということで,質問に関連するHPのアドレスを探すというコンセプトが強かった。より的確なHPを人間の力に頼ろうという考え方である。しかし,利用が増えた現在では,回答に出てくるURLはダミーで,答えそのものを書く人が増えているようである。このようにはてなは確実に利用者を増やし,ビジネス的にも成功していると言える状況になってきているようであるが,はてなには「はてなダイヤリー」という無料のブログも提供(オプションは有料)しており,これが利用者を増やす相乗効果を作っている。このダイヤリーの中ではキーワードは他人と共有できるようになっており,わからない言葉や知りたいことなどが他人の日記を読んでいるだけでも簡単に調べられるようになっている。筆者としてはいずれはてな本体とこのダイヤリーの有機的な統合でさらに貨幣経済とリンクした形で知識流通が広がることを期待したいところである。 

○インフォメーションアセット 

このはてなのような挑戦がベースとなり,ビジネスモデルが生まれはじめるとブログなどに広がった無数の知識情報はレゴのブロックのような存在になる。一つ一つは役に立たないように見えても,それらを価値のある形に組み立てたり,交換したりすることである一定の価値を持つ形式知を構成することが可能になる。つまり部品のような存在であると言えるだろう。検索エンジンはインターネット上の情報を検索するという価値だけで今でもビジネスにしているが,Googleなどが目指す究極の姿はより,自分に価値のある情報を探して,組み立てることができる仕組みなのではないだろか。このように価値を組み立てるような「バリューパッケジャー」と呼ばれる中間サービス事業者は今後増えることになるだろう。現に資本主義においてはこのように,お金や有価証券に価値を付けるビジネスとして銀行や証券会社などの金融業が重要な役割を担っている。今後,知識が価値を持つ知識社会が来るのであれば,お金に変換するのではなく,知識だけでもどんどん流通するようになる中で,金融業のように知識仲介事業者は現在の銀行のような役割を果たすのではないだろうか。例えばこれまで情報は消費されるだけのようなものであったのが,自分がたくさんの価値のある情報を積極的に生み出して,預けておくと,それが社会の付加価値になり,利子となって自分の財産に変わることもあるのではないだろうか。それは資本主義経済において銀行がお金を集めて,融資して,社会価値を作って利子を返す仕組みが,知識社会においても知識を集めて,役立てて利子を返すということと同じ役割のプレーヤーが登場することだと考えられる。そしてそのメカニズムを多くの人が理解すれば積極的に自分の知識や情報を他人に預けたり,委ねることで社会的価値を作ることに貢献したいと考える人も増えるだろう。つまり現在のブログが情報資産を預ける銀行業のような存在になる日も来るかも知れないし,我々は自分の情報を資産「インフォメーションアセット」として意識できるようになるかも知れない。これまでも情報流通の場として掲示板やMLが存在したが,それらは自分の発言も公共性の高い場での発言のひとつでしかなくなるのに対し,ブログ型の場合は自分の家の中での発言であり,発言内容は自分の責任と所有意識はとても高くなり「資産」という意識も持ちやすい。 

○2つの壁を越えて 
こうした知識社会への過程における大きな壁は2つある。ひとつは著作権制度である。知識情報においてオリジナリティという考え方は難しい。著作権制度が大きく揺らいでいる現在まだ答えがない状況である。人間が自分ひとりで全て考えた情報など無いに等しい。全てはこれまで学んだり,取得した知識の再加工品である。もちろん私のこのレポートもそうである。ひとつひとつの情報が権利で守られていてはうまく機能しないし,人から聞いた情報でも的確なタイミングで発信した人に価値は存在するだろう。これらは現在クリエイティブコモンズという考え方を唱えているグループが存在するが,別途考えていく必要はある。 
もう一つは課金への心理的抵抗感の消失だろう。お金を払うだけの価値を感じ,理解したとしても,最後の最後の面倒くさい感覚があってはお金は払われない。電車待ちのちょっとした瞬間に,キオスクでそれほど欲しくない雑誌を買ってすぐに捨てたとしても,机の上のPCには100円も面倒で高いものに感じてしまう。通信インフラが最後の1マイルを引くのが大変なのと同様に課金心理のラストワンマイルは大きな大きな壁である。期待されるのはスイカやエディのような非接触型ICカードによる電子マネーの普及である。PC上でのマイクロペイメントの支払いがICカードで支払うことが可能になれば,ちょっとした知識の取得にもお金が払われるようになるだろう。このあたりについては別途の回のテーマとして取り上げたい。 
社会構造そのものが大きく変化している中で,知識創造型社会になると言われているが,それは本当に実現するためにはその根元である知識流通を資本流通と組み合わせる挑戦を続ける必要がある。パッケージという第二次産業の工業製品のしもべになった知識を,真の第四次産業になる知識流通として解放するための道具としてのインターネットは普及もすすみ,すでに我々の足下で準備OKで待っている。

2004年1月5日月曜日

次の10年のための実験仮想都市サイバースペース特区を

(2004年1月日本経済新聞電子版の「ネット時評」に掲載されたコンテンツを編集しました)

たちすくむインターネットカルチャー

2003年はMosaic誕生10年であったが,2004年はネットスケープ誕生10年である。ほぼ研究者や学生だけが利用していたMosaicから,商用利用を前提にしたブラウザやサーバーを開発するネットスケープ社が誕生してはや10年。インターネットは学術利用の世界から一般社会へ開放され,完全に現実社会にロックインされた。常時接続ユーザーも1000万人を越える状況になり,特別扱いは許されない状況となっている。そのためインターネットで起こる事象は現実社会に影響を与え,自己責任という一言では片づけられなくなっている。トラブルから実態としての被害を被る人も増え,関連する法整備もここ数年で急速に進んだ。昨年年頭のコラムで述べた通りまさにインターネットはシビルミニマムな道具であり,ユニバーサルなサービスを求められるようになってきている。米国でもインターネットの商取引に認められてきた免税がいよいよ無くなり,課税対象となる方向である。
だが現実社会との妥協点を見いだす中でインターネットが持つ多くの新しい社会システムとしての可能性が立ちすくみ始めているのも事実である。ユニバーサルなサービスを求められ,現状の著作権制度,個人情報保護法,他の各種業法を守りながら,多くの利害の異なる人々とのコンセンサスを得ながら進めるためには膨大なコストと時間がかかるようになっているのも事実である。それは現在の日本の公道でセグウェイや運転手のいない全自動運転車が走れないのと同様であり,公道は実験を行う場所としてはふさわしくない。現在のインターネットは完全に公道となっており,参加する人には自動車免許を持つぐらいの細心の注意が求められ,未来の可能性より,現実に事故を起こさないことが何よりも優先されるようになった。

社会実験のための新しいインターネット網を!
しかし,一方でインターネットがもたらすコミュニケーション革命はまだスタートしたばかりである。インターネットの持つ力を前提に組み立てた社会システムはまだまだ無限の可能性を持っている。それを実証していく課程で現実社会との折り合いが必要なのであれば,既得権益と切り離された大いなる社会実験のためのサイバースペースを新たに構築するしかない。そのためには筆者は新しいもうひとつのインターネット網を整備することを提唱したい。これまでもIPV6やギガビット級の高速インターネットを実験するためのクローズな実験インターネット網は存在していたが,どれも技術的な評価実験を主な目的にされている。現在のインターネット網の原型が学術ネットワークだった時代にはもちろん技術的な実験も行われたが,商用で利用しないという前提はあったもののあらゆる社会活動の試みが行われた。もちろんその中には現在では明らかに違法と思われるようなものまで存在していた。しかし様々なチェックや調整なしに純粋に可能性を追求する場としてのインターネットももう一度必要ではないだろうか。当時JUNETと呼ばれたニュースグループではインターネットで新しいプログラムが生み出される度に,可能性や問題点が熱く議論されていた。そこで筆者は以下のようなインターネット網をサイバースペース特区の形で構築し,市民も都市規模で存在する知識流通をベースとするまさに仮想の「都市」を構築し,社会実験とすることを提案したい。

・プロトコル IPV6(現状のインターネット網とは分離)
参加人員 50万から100万人(制令指定都市の人口レベル)
参加属性 研究者,ハッカー,学生(SFCの学生などは是非全員参加して欲しい),起業家,アーティスト,NPOなど
登録免許制 参加する人は所属や所在を明かにし,一定のプライバシーを開放する
法制度 現状の法制度は原則非適用,自己責任をベースとする新しいネットワーク社会にふさわしい制度を自主的に制定(制定ルールも新たにネットワーク上で決定する),ただし現実社会に著しく大きな影響を与える行為は禁止する仕組みを整備
貨幣制度 現状の貨幣との交換性の無いエコマネーのような独自電子マネーを流通させる。
コスト負担 公的資金,参加者からの税金,企業の研究開発費

このサイバースペース上ではデジタルコンテンツの流通も原則ゼロベースからあるべき姿を模索したい。まさにP2Pソフトウェアは積極的に実験され,どんどんアイデアを出し合いながら開発されることが期待される。規模を制限することで,現在商業ベースで利用されているコンテンツの利用も原則全て可能にしたい(利害関係者に一定の補填をしてもよいだろう)。現在の特許の利用についても一定の期間に関してはこのスペース上では保有者に権利の行使を行わせないなどの措置が望ましい。このような土壌ではエキサイティングなプログラムと社会システムが次々と生まれることだろう。何しろプログラマーにとっては思いついたアイデアを思う存分実現するフィールドが存在するのであるから。ウイルスも実名で次々と作って欲しいものである。サイバースペースの社会システムの危険性もあわせて実験されるべきである。

ネットスケープから10年。現在の社会への普及ステージは終わりつつあるかも知れない。今の社会の利便性の向上や効率化には十分寄与しているだろう。次の10年はいよいよ知識社会へ向けたイノベーションのための挑戦を行うステージである。