藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2000年1月7日金曜日

21世紀のインターフェイス

(2000年1月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました)

新千年紀を迎えて早くもイギリスは21世紀宣言をしているようであり,21世紀が来てしまった。しかしちょっと待ってくれというのが率直な意見である。これだけ技術革新が凄いと普段言いながらも,高度経済成長期に生まれた我々の世代にとって,これが21世紀では困る。何しろSFの世界で21世紀というのはもっとすごかった。だから21世紀はもっと技術革新が進んでなければ行けないはずなのである。自動車は宙に浮いていて環境問題とは無縁でなければいけないし,そして何よりもコンピュータは言葉を理解し,しゃべりとても使いやすいのである・・・。何故こんなことをわざわざ言うのかというと我々は,1968年にアラン・ケイが理想のイメージに近いパーソナルコンピュータとしての「ダイナブック」を提唱してから,その理想のパソコンを求めてきた。そして,今日までの進歩の中で,ひと昔前のスーパーコンピュータ並のパフォーマンスと,0.1mmを争う大きさや薄さや重さの競争の中で生まれた恐るべき小型化を手に入れているにも関わらず,インターフェイスだけは1973年にゼロックスのパロアルトで生まれた「アルト」というモデルマシン(すでにキーボードと3つボタンのマウスがついていた)から驚くべきほど進化していないからである。
さらにインターフェイスは新しい悩みも抱えている。ユビキタス(Ubiquitous:偏在化する)コンピューティングと言われ,コンピュータは我々の生活の周りのあらゆるところに進出している。そしてその代表選手である携帯電話でも現在爆発的に普及が進んでいるiモードはすでに300万台を越える普及を見せており(NIFTYが十数年かかった加入者をたったの1年で達成している!)世界でもっとも普及したネットワークにアクセスできる携帯端末になっている。しかし,問題はインターフェイスである。我々キーボード世代にとってはあの小さなボタンはとても文章を入力するのには使いたいと思えないインターフェイスである。しかし,さらに驚くのは10代の世代にとってはポケベルで鍛えた直接番号入力術も持っており,あのインターフェイスで次々と文章を入力しており,特に違和感を感じていないことである。ある意味で我々は愕然とする。昔パソコンのキーボードアレルギーで利用をためらっていた中高年を馬鹿にしていたのと同じことが,まさに今携帯電話の入力で起きているのだ。では我々もポケベル入力を覚えなくてはいけないか!?いやまて。期待がもてるのは音声インターフェイスである。すでに番号の検索を言葉をしゃべって行う技術は導入されており,もうすぐ簡単なメール文章であれば音声入力が可能になるだろう。でも待て。それではせっかくデータ通信が普及を始めて周囲に迷惑をかけるしゃべり声が減るのかと思いきや,またうるさい声が復活してしまうかもしれない・・・。営業マンの営業報告などを電車の中で聞かされた日には・・・ああ悩ましい問題である。やがて体に身につけるウェラブルコンピュータも実用化されるのだろうが,インターフェイスが一番の壁なのではないかと思う。
一方で面白い動きもある。それは電子おもちゃの世界である。最近話題になっている電子犬AIBOやファービーなどのおもちゃは話しかける,なでる,たたくなどでコンピュータとコミュニケーションとっているのである。これはこれまでのインターフェイスからすると画期的なことかもしれない。スイッチやキーボードがついていないコンピュータと慣れ親しんだ子供達はどんなインターフェイスを考え出すのだろうか?ここは楽しみである。
というわけでインターフェイスが進化することは現在進行中の社会のIT革命の進展において大きなブレークスルーになるのではと考える。21世紀は是非インターフェイスに気を使わないでコンピュータが真の「思考のための道具」になることを期待したい。