藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2005年6月21日火曜日

ネット音楽配信ビジネスは今度こそ立ち上がるか 単曲課金ITMSの先にある巨大市場の幕開け

(2005年6月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました)

いよいよスタートするITMS
アップルのiTunesによる音楽ダウンロードサービスITMSiTunes Music Store)が早ければ8月にもついに日本でもスタートすると言われている。すでに発売されているハードウェアのipodはプレーヤーとCDから入力するソフトウェアの提供だけでも国内で好調な販売を続けており,全世界で累計4億曲販売した実績の楽曲販売のスタートに対する期待は大きい。すでに先行している携帯電話会社auが提供している「着うたフル」の累計ダウンロードも200411月にサービスを開始して以来先日累計1000万曲のダウンロードを突破した。いよいよ日本も本格的な音楽ダウンロードサービス市場の立ち上がりを迎えようとしている。

 インターネットの商用利用がスタートしてからおよそ10年,音楽のノンパッケージ販売はもっとも期待されたインターネットビジネスのひとつであり続けてきたが,そこにはいつもは大きな壁が存在してきた。1995年に米プログレッシブネットワーク社がリアルオーディオの提供を始めた時あたりから,インターネットユーザーにはインターネットが音楽ビジネスの歴史を変えると誰もが予想したに違いない。しかし,パッケージ流通により成り立っている音楽業界にとっては,瞬間的に地球の裏側にもコピーしてしまうデジタル技術に対しては慎重にならざるおえなかった。コピー防止技術や著作権処理の技術,業界の思惑の中で標準化の話し合いについて時間は費やされる。国内の音楽業界もおそるおそるではあるが2000年には現在国内で最大の音楽ダウンロードサービスを提供しているモーラ(http://mora.jp/)の提供会社であるレーベルゲートをレコード会社各社が共同で設立し,少しずつではあるが準備を始めた。しかし同じ頃ナップスターというP2P技術を利用したファイル交換アプリケーションの登場で音楽業界は衝撃を受ける。MP3フォーマットに変換された音楽データはまたたくまに世界中を駆けめぐり始めた。時をあわせるようにCDの販売も減少をはじめ,売上減少のやり玉にP2Pソフトがあげられ,提供会社と利用者に対する起訴合戦がスタートすることになる。ITMSはまさにそうした激動の中の2003年にITMSは1曲99セントという画期的な価格設定でサービスをスタートした。成功の要因としては本コラムの第10回の情報家電のコラムでも分析したように,アップルのシェアの小ささ,PCメーカーが出したハードだったこと,ハードからソフト,コンテンツ販売までのトータルサービスであったことなどの理由があると思われるが,その後順調にサービスが世界各国で立ち上がり,参入するプレーヤーも増えて,音楽業界もこれまでの慎重論からビジネスとしてのチャンスという見方に一気に方向転換することとなった。同じ頃日本ではやはりCDの売上が減少し,その理由として携帯の通話料・パケット料に若者のCD購入費を奪われているという見方まで出ていたが,その敵であったはずの携帯の着メロの著作権使用料がなんとJASRACCDの売上の減少分をまるまる補うという状況になったことでITMSとは別に微妙に音楽業界の見方に変化が出た。着メロでは作曲家の著作権収入が中心で商売にならなかった楽曲の原盤権を所有しているレコード会社もこの状況から,携帯の3G化に合わせて本格的に携帯に音楽を配信する着うたサービスに力を入れることになった。そしていよいよ2005年日本でのITMSサービス開始への期待が高まっているところである。

パッケージビジネスと何が違うのか?
ITMSに期待がある一方で日本ではうまくいかないという見方もある。ひとつは前述で解説した通り,日本では欧米と異なり携帯による音楽利用が進んでいる。携帯は確実に課金できる仕組みもあり,コピーされる心配もほとんどない。携帯での着うたにレコード会社が力を入れている状況で,ITMSに提供される楽曲の数が揃わないのではないかとの意見もある。仮に揃ったとしても洋楽中心で,若者に対する瞬発力のある売れ筋商品であるJ-POPが揃わないなどの状況も予想されている。確かに日本でのライフスタイルを考えた時に携帯のアドバンテージは大きいとは考えるが,筆者は大事なのは「ipod」か「携帯」かという議論ではなくノンパッケージの音楽ビジネスそのものの新しい利用スタイルをいかに作ることではないかと考える。
 まず音楽の価値を分析してみたい。従来のパッケージのLPなりCDの価値というのは
1)「パッケージ」デザインなど飾っておきたい価値
2)「コンテンツ」音楽そのものであり聞くことができる価値
3)「コンテクスト」曲順や選曲,アーティストの価値
3つのバリューで構成されていると考えられる。現在のネット配信モデルでは1曲づつ購入するモデルであり,基本的には100円から300円程度の価値として購入してもらうというところが基本であり,上記の価値で言うと2)の価値が中心である。しかし,LP時代から使われているアルバムというのは、言葉通り様々なアレンジや順番含め複数の曲をトータルで構成したひとつの作品であり、一曲一曲のシングル版とは明らかに異なる価値を持つ。一昨年あたり「タイムスリップグリコ」などでなつかしのシングル版がジャケット写真毎8cmCDになって復活して人気になったことを思い出していただいてもわかる通り,「音楽を買ってしまう」欲望を喚起させるためには1)3)の価値も大きな比重を占めている。残念ながら,デジタルのノンパッケージでは1)の所有できる価値は喪失しているため,それを利用するのは難しいが3)の価値はパッケージから解放されるからこそ再発見できる要素は多分にあると考えられる。現在の2)のモデルではコンテンツの価値を重視し、著作権というコンテンツ価値に属する権利を売買することをビジネスモデルの基本においている。確かにマイクロペイメントなどの少額課金決済技術の進展は、こうしたコンテンツ価値に対して多様な決済方法を提供することにもなり、少額の課金、回数制限方式、定額方式などの実用化を促している。
しかし,近年のCDの世界のオムニバスアルバムやベスト版の流行など,音楽の聞き手も一曲一曲に思い入れを入れているというよりは,癒されたい,カフェの気分を味わいたい,青春時代の想いに耽りたいなど,利用者はコンテキストの価値に対価を払っていると言える。実際ipodのシャッフル機能が受けているが,これは一定量の音楽の中からのランダムな選曲が楽しいという価値を提供している。同じくiTunesの中でプレイリストという機能があるが,これもDJ気分で自分で音楽を選曲する楽しさであるが,このプレイリストを交換したり,有名人が作ったプレイリストを入手するなどを楽しむ人たちがすでに登場している。これは新しいビジネスモデルを予感される。例えば、あなたが、1万曲の音楽データを手に入れたとしても、CDと異なり、その中から今日聞く音楽を選ぶことは大変な作業になる。しかし、自分の曲の好みや過去の選曲傾向などから、今日のおすすめの20曲だけを選曲し、インデックスデータを配信してくれるサービスがあったとして、それが有料でもあなたは利用するかもしれない。この場合、あなたにとって重要な価値は20曲のコンテンツ以前に、「自分のために選んでくれた20曲の選曲情報」というコンテクスト価値である。同様に自分と同じ趣味や価値観の人、80年代のAORが大好きな人たちが最近よく聞いている曲などを教えてくれるサービスが存在したらとても便利であろう。膨大なコンテンツや商品が街に溢れ容易に次々と消費される現代においては、コンテンツを商品と見た場合には普通の商品と同様に、自分の生活をより豊かにしてくれるかどうかが、購買意欲を刺激する意味でも重要なファクターになっており,もはや商品そのものが必要かどうかは重要ではなくなってくる。これは相対的にコンテンツ価値からこうしたコンテクストの価値が高まっていることを意味し、今後のデジタルコンテンツのビジネスモデルを議論する時には忘れてはいけない重要な要素であると考えられる。

新しい音楽の楽しみ方は生まれるか?
このように携帯音楽配信とITMSは音楽の楽しみ方の幅を大きく広げてくれるだろう。それは今まで売ることが難しかった古い曲や眠っていた曲などに価値を与える可能性もある。携帯にもハードディスクが搭載され,いつでもどこでも膨大な音楽を持ち歩くことができるようになれば,そもそも着うたの本質的な欲求である「人に自分のお気に入りを聞かせたい」ということを自然にどこでもできるようになる。音楽は完全にコミュニケーションの道具であり,友人と乗っている自動車の中はDJブースになることは間違いない。近い将来自動車でのドライブデートは選曲センスの戦いとなるだろう。音楽は一曲一曲よりも大量の曲の中でどのように楽しむかがノンパッケージ時代のキーワードになる。

今後どんなに万能な著作権管理システムと課金システムが完成したとしても、デジタルコンテンツの購買欲望を喚起する仕掛けが用意されていなければ、欲しくなる人が少なく、ビジネスとしてはうまみはなくなる。デジタルコンテンツは音楽業界全体としては新しいビジネスチャンスであることは間違いないと思われるが、従来のパッケージビジネスにおいてもカラオケやラジオのチャート番組などの別のビジネスモデルの中で音楽に触れ,聴く機会が存在するという連動された複合型モデルで成立していたことを忘れてはいけない。一人に年間数枚のCDを売ることを考える時代から一人の年間音楽エンジョイ費を月数百円とるモデルへのパラダイムシフトこそが,市場全体のパイを広げる鍵である。音楽関係者には街で回りを見渡して欲しい。目の前を歩いているここ数年CDを買ったことの無い膨大な人々が,この大いなる市場の潜在予備軍である。巨大な新しいエンターティメント市場である音楽ビジネスの幕開けは今度こそITMSとともに幕を開けようとしている。