藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2001年8月29日水曜日

可処分コミュニケーション争奪戦

(2001年8月日本経済新聞電子版の「ネット時評」に掲載されたコンテンツを編集しました)

ブロードバンドはコミュニケーションできる情報量を劇的に増やすことが期待されている、確かに情報価値が高まる効果は存在するとは思うが、その情報が消費されやすいかどうかというのは別問題である。例えばそれぞれ1分ずつ10個のムービーファイルがあったとして、あなたは全部見る気になるだろうか?恐らく大多数の人は自分が興味を持ちそうなファイルを3つぐらい選んで見たくなるはずである。一方10通の電子メールであればとりあえずななめ読みでも全部目を通すことはそれほど苦な作業ではない。確かに情報量や情報価値が高まり、より深い印象を与える情報だとしてもそもそも選択され消費されなければ意味がない。特定のポータルサイトなど各ジャンルで上位12Webサイトに利用が集中してしまう傾向も、大量の情報消費の限界と関係しているのではないだろうか。筆者はデジタルデバイドとは別の視点でコミュニケーション洪水に対する限界感や抵抗感などが「可処分コミュニケーション」と呼べるような概念を形成しているのではないかと仮説を立てている。
 これまでもマーケティングの世界では可処分所得と可処分時間の争奪戦が繰り広げられていたわけであるが。非同期性が高いデジタルコミュニケーションにおいて時間は新規に創出されると期待されているところがある。確かに調査結果からもiモードは女子学生の授業時間とか電車の中とか新しい利用シーンを創造した。(電車の中の時間を奪われた雑誌や文庫本への影響は気になるところだが)しかし、時間が生まれたとしてもそもそもの利用者の可処分コミュニケーションの大きさには一定のものがあるのではないだろうか。例えばiモードはコンテンツ個別課金であるため、5つぐらい有料コンテンツに加入すれば、それ以上の加入は少ない傾向にある。上位5コンテンツに入れなければニーズが多少あっても選択してもらえないという事態も存在している。1500円で好きなコンテンツをいつでもとっかえひっかえできるような仕組みにすればともかく、そうでないと後発のサービスは限られたポジションを奪い取るという作業が発生する。
企業のコミュニケーションでも注意が必要である。CRMの概念は多くの企業をデジタルコミュニケーションでの囲い込みの誘惑を生じさせている。しかし、どんなに顧客だとしても、自分の身の回りの商品100社からメールマガジンが来てもただの迷惑と感じるだけであろう。生活者のコミュニケーションは企業だけではなく、仕事や友人関係、MLなどのコミュニティに占有されているかも知れない。すでに毎日見るホームページが習慣化し固定化されている人に対してスイッチングさせることは、それなりに大変なエネルギーがいることだろう。

 CS放送やBSデジタルもある種の可処分コミュニケーションの問題を抱えている。オンラインゲームも新たらしい可処分コミュニケーションを争奪しようとしている。これから新しいサービスを検討する人にとっては、そのサービスがターゲットの可処分コミュニケーションを奪えるだけの可能性があるのかを考えていく必要があるかも知れない。奪う相手はオールドメディアかも知れないし、デジタルコミュニケーションかも知れない。また一度奪い取ったその座も簡単に奪い返されるものかも知れない。可処分コミュニケーションを守り続けるためにはブランディングなどの強いコミュニケーション欲求を創出し続けることがますます重要になってくると思われる。人も会社もコミュニケーションし続けたい人である必要があるのだろう。ところで官邸メールマガジンは多くの人の可処分コミュニケーションの範囲に入り続けられるでしょうか?