藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2013年12月28日土曜日

パソコンが今こそ目指すべき「思考のための道具」

やっと修理に出していたMacBookProが戻ってきた。(USBがひとつ死んでいるのでもうまたアップルストアに行かなければだが。。。)今回は初めてMac無しでiPadやiPhone,GALAXYだけで過ごしてみたがやはり厳しい。確かに情報をインプットするだけなら十分なのだが,アウトプットが弱くなる。ソーシャルメディアの投稿も減ったし,メールの返事も面倒になる。やはり我々PC世代にとってパソコンは「思考のための道具」なのだとあらためた実感した。思考の速度で文章は入力できなければいけない。複数のウインドウで様々な情報を同時に見られないといけない。タブレットがパソコンサイズに近づいてもやはり違いは大きい。個人的にはもうひとつ思考のための道具はホワイトボードだ。大きい白い板はまさに思考の調理場だ。言葉を洗い出し,整理し,構造化し,インフォグラフィックスになっていく。この機能はまだ現在のタブレットのホワイトボードアプリでも全然だめだ。そういう意味では期待は大画面タブレットだ。ホワイトボードが大画面タブレットに置き換えられた時に知的生産はもう一段のジャンプアップを見せるだろう。ドキュメントを効率的に綺麗に作ることや,計算を簡単いすることも大事だが,これからのホワイトカラーの最大の価値は知的資産の創造だ。スマホやタブレットなどは情報をインプットして,ちょっとしたインタラクションには便利な道具だが,スマートデバイス普及後のパソコンの役割はまさに人間の思考をアシストし,拡張することなのだろう。ハワードラインゴールド氏が思考のための道具を書いたのは1987年。役割の再定義が求められている今日,ハードウェアとインターフェイスレベルからの再発明が今こそ求められる。

2013年10月31日木曜日

ソーシャル時代に企業はどう各種ツールと向き合うべきか -ソーシャルメディアの適切な使い分け法

プレジデントオンラインに寄稿しました。あまちゃんと半沢直樹とソーシャルメディアの関係から始まり,割と今日現在のソーシャルメディア全般の使い方を俯瞰しています。
http://president.jp/articles/-/11109

2013年10月28日月曜日

docomoのABCクッキングスクール買収をもっと活かすために

docomoのABCクッキング買収にとまどう人も多いようだ。確かに通信キャリアのddocomoにとってのシナジーはわかりにくいところも多いし,新規市場への投資が広範囲なのでそのひとつとしてまずは買ってみたというところもあるのかもしれない。しかし,こうしたサービスビジネス事業者のITビジネス化はとても重要だ。実はかつて家電メーカーにABCクッキングなどへの出資を勧める資料を作成したことがある。家電量販店という顧客接点では商品視点で価格でしか勝負できない負のスパイラルに堕ちている。しかし,サービスビジネスの顧客接点はサービス価値の中に商品が存在する。美味しい料理を作る体験とともにある調理家電の価値は価格以外の要素が大きい。一方で教室型サービスの弱点は通ってくれる人が離脱していくところだ。しかしネットワーク家電の時代は顧客と繋がり続ける。自宅での簡単な調理ラーニングと教室でのハイレベルなラーニングの組み合わせ価値などは効果が高い。つまり,行動情報を捕捉し,コミュニケーション可能な家電製品とサービスビジネスの組み合わせという二次産業と三次産業のコラボレーション(実は行動データの価値化という第四次産業も混在するのだが)こそが新しいイノベーションであり,日本の新しい競争力として海外に輸出するべきモデルだと言えるのだ。例えばヤマハの音楽教室はすでに40カ国に進出している。このプラットフォームがある時にヤマハの電子楽器がネットワーク化された時に他の楽器メーカーと違う次元にいけそうなことはみなさんも想像できるだろう。docomoさん是非そのあたりよろしく。

2013年10月9日水曜日

ヤフーの「eコマース革命」よりも革命して欲しいEC3つ革命のこと

ヤフーのショッピングモール利用料無料化の影響で楽天,ヤフーの時価総額が大きく変動するなど業界インパクトは大きい。しかしヤフーの言う「革命」は大袈裟で,今回の発表はすでに参入が相次いでいた無料モデルを追随した感は否めない。あえて今EC業界の革命をあげるとすると以下の3つかな。お願いしますヤフーさん,楽天さん,アマゾンさん。 1)物流革命 ・すでに佐川がアマゾン撤退で問題が指摘されている通り,現状の物流の仕組みをもう一段効率化しなければ,即日配送モデルのさらなる短時間化と普及は難しい。単独EC事業者の投資だけでなく,物流事業者と卸までを巻き込んだ日本中の倉庫を最適化するぐらいの仕組みが欲しい。 2)検索・リコメンド革命 ・多くの人が感じているように現在のショッピングにおける検索は目的商品が明確化していればよいが,あいまいなニーズや類似商品を同時に比較などの要求にはほとんど応えてくれない。アマゾンのリコメンドも過去の購買商品ベースでしかお薦めしてくれないし,中途半端なリターゲティング広告みたいにすでに買った商品までうざく追いかけてくるやつも困りもの。かといってソーシャルメディアのたまにおっ!という商品がみつかる程度のものも情けない。もっと自分の興味関心からしっかり検索できたり,お薦めしてくれるインテリジェンスな革命を求めたい。 3)リアル連携革命 ・O2Oのいきつく先はあらゆる店舗の商品のEC化。スクエアのマーケットプレイスみたいにあらゆる店舗のPOSレジや商品マスタが自動的にEC連動していればネットでも店頭でもスマホひとつで何でも購入し,店頭在庫があれば持ち帰り,無ければ最適ルートからの取り寄せという世界が来る。こういう世界では流通はプラットフォームシステムでしかなく,商品か接客,サービスでしか個別付加価値はとれない。

2013年9月28日土曜日

80年代世代にとってのあまちゃん

「あまちゃん」3代のマーメイド達の物語が終わった。基本は一人の「あまちゃん」な少女の成長ストーリーという宮崎アニメも得意とする普遍的なテーマを軸とした物語であったが,やはり我々80年代青春世代には「潮騒のメモリー」というもうひとつのストーリーが中心だったと言える。実家の春子の部屋はまさに封印された80年代そのもの。あの頃の挫折や苦い想い出,あきらめてしまった夢などが詰まっている。聖子ちゃんカットの若春子や効果的な当時のフラッシュバック映像などによって自分の80年代の思いを春子や鈴鹿ひろみ,太巻に感情移入させて行った。春子と夏ばっぱとの和解,太巻の謝罪などのシーンで我々世代は涙腺が崩壊する。それは彼らと同時に自分の中の潮騒のメモリーが少しずつ溶けていったからだろう。そしてクライマックスは鈴鹿ひろみの歌声で若き日の春子が成仏され,三途の川を渡れなかった80年代のマーメイドが消えて,三代前からマーメイドに歌詞が変わったところ。すべてが昇華されたような不思議な感覚で自分にとってのこの物語は終わった。我々世代を代表する太巻(似ていると言われます),春子,鈴鹿ひろみは最終回ではもう何事もなかったようにいつもの通り仕事をし,北三陸にはいなかった。我々も自分の中の80年代の部屋にそっと鍵をかけ,また2013年のいつもの仕事に戻るのだ。

2013年8月27日火曜日

求められる新しい「パブリック」と「プライベート」の概念

現在起きている炎上写真投稿問題。マナーとかよりも本質的に教えるべきは「パブリック」と「プライベート」の概念についてだと思う。 現代の我々日本人はかつての村社会と異なり公共と私という概念を教わらないまま大人になる。 どちらかといえばなんとなく「公共 = 官」と認識したまま大人になる。 なので大人になってもむしろ税金は払わない方がよいと教わることも多いし,ゴミも行政がなんとかしてくれるとしか考えられない。公共は他人事。 生まれてから閉鎖的な個人空間と一部の仲間の世界だけで育てば,公共空間の概念は無いためプライベートのおふざけの世界はどんどん拡大される。リアル空間に公共の概念が無い人間がデジタル空間の公共を認識できるはずもない。デジタル空間におけるブログもTwitterもLINEも彼らにはプライベート空間の延長としてしか認識できていないだろう。インターネットがどうやって成立しているか公共財であることを教わることも無いだろう。そもそもインターネットは誰かが与えてくれるものではなく,自分がその一部として構成するネットワークであったわけだし。その感覚に初期の頃はしびれた人も多かった。 社会を構成する要素としてのパブリック空間における自分の関わり方,責任,どうやってパブリックを良い環境にしていくべきか。 その認識さえできていれば個人のプライバシーデータとパブリックに活用し社会をよくするための集合知データのバランスも理解できるだろうし,個人のリスクと社会のリスク,広く考えれば安全保障の概念を同時に考えることもできるだろう。これは若者だけの問題ではなく,大人も含めて我々はリアルとサイバースペースの融合により拡張されている「パブリック」と「プライベート」の概念を理解する必要がある。そうでなければグーグルグラスはプライベート利用によるとんでもない悪ふざけだらけになるだろう。今後出てくるグーグルグラスのようなデバイスこそ「新しいパブリック」の概念のもとに使うことがますます必要だ。

2013年2月4日月曜日

「ローカルスタンダードとグローバルスタンダード」

AKBの今回の恋愛禁止違反も熱狂的なファンとその他の人では感じ方はかなり異なるだろう。体罰も内輪の人達と外側の人では異なる反応が出ている。相撲の世界もここ数年は閉鎖的な常識に対して厳しい風当たりが続いている。「常識」はこれまで狭いコミュニティの中で長い時間をかけて作られるものであったが,フラット化する世界の中でグローバルスタンダードと呼ばれるコミュニティの外側の基準で語られることが多くなっている。狭いコミュニティで起きる事象が問題化する背景にあるのは,ローカルコミュニティのゆらぎだろう。リーダーであるべき人々が決める「決断」はリスペクトや信頼があればローカルコミュニティの中では絶対なものになるが,自信のなさや信頼のゆらぎが起こればそれはグローバルスタンダードから見ておかしいものになる。もちろん体罰のようにあきらかにあらためるべき事象もある,今回の女子柔道はオリンピック代表というグローバルなスポーツの中での問題であるから当然グローバルスタンダードに従うべきだろう。しかし,相撲の八百長は伝統を重んじるローカルスポーツなのだとしたら,必ずしもグローバルスタンダードを当てはめるべきでも無いかも知れない。以前に800年続く裸祭りの上半身裸の男のポスターがセクハラということで問題になったが,伝統の祭りで簡単にグローバルスタンダードを当てはめるのが適切かは慎重に考えるべきだと思う。昔から日本のローカルコミュニティの権力者は「ハレ」と「ケ」でルールを変えることでコミュニティをまとめてきた。ローカルのルールを決める実力と信頼のあるものでなければローカルコミュニティのリーダーにはなれないとも言えるだろう。それは日本の政治家や経営者にも言えるだろう。つまらないスキャンダルが社会常識ルール的におかしいとたたかれて失脚するのはやはり実力が無いからだろう。ローカルのリーダーとしての信任があれば多少の問題は乗り越えられる(人生色々でごまかせた人もいましたね)。欧米の経営ルールに振り回されて本質的な企業価値を喪失している日本企業が増えている気がしてならない。株主に説明できない投資だって本気でそう思うならやるべきだろう(アマゾンはアナリストに反対され続けても物流に投資したから今がある)。相撲だって相撲協会がしっかりしていればファンはその判断についていっただろうし,AKBの問題は外野が色々言っても最後は秋元さんの判断にファンとAKBが納得すればそれでよいだけの問題のような気がする。グローバルスタンダードに日本中が全て染まることは悲しい。自己責任をやめて危ないからと伝統料理を禁止していくことが本当にいいことなのか。パワハラやコンプライアンスの基準を欧米人のルールにただ従うだけのコミュニティに力があるとは思えない。派遣など含めた働き方のルールもブラック企業があるからどんどん基準が厳しくなるが,もっと自由で選択肢が多い緩い労働基準をベースに経営者がリーダーシップを発揮する形で運用する方が望ましいに決まっている。しっかりとローカルルールを自信を持って運用するためのコミュニティのリーダーが政治家や企業,団体にいればローカルスタンダードは運用できる。何でもかんでもグローバルスタンダードに従うことをグローバル化だと思うのはやはり間違いなのだと思う。

2013年1月23日水曜日

「シェアサービス産業の時代」

シェアハウスビジネスを手伝っていると「時々変わったこともやっているんですね」と言われます。でも実はこのビジネスにはとても大事な潮流があるのです。 我々は「パーソナル化」という大きなトレンドの中で生きてきたのでワンルームマンション,携帯電話,パーソナル家電,個食というようなライフスタイルに合わせた産業が拡大してきました。しかし,新しい豊かさを手に入れるためには「シェア化」というトレンドのサービスを生み出していくことが必要です。単身世帯はエネルギー効率,孤独死,低価格家電しか売れない(日本メーカー不利)などの課題も多く,シェアハウスを始めとするカーシェア,共同配送,エネルギーシェア,シェア家電などハードウェアとサービス業が一体化した新しい「シェアサービス産業」の発展が必要です。孤独死を減らすのに一番必要なのは見守りセンサーでは無く「誰かと一緒にご飯を作って食べる」ライフスタイルだと思います。そしてそのライフスタイル毎を海外に輸出することが日本企業のビジネスチャンスにもつながるのです。当然それを支えるプラットフォームはITを活用したビジネスなんですよね。