藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2013年8月27日火曜日

求められる新しい「パブリック」と「プライベート」の概念

現在起きている炎上写真投稿問題。マナーとかよりも本質的に教えるべきは「パブリック」と「プライベート」の概念についてだと思う。 現代の我々日本人はかつての村社会と異なり公共と私という概念を教わらないまま大人になる。 どちらかといえばなんとなく「公共 = 官」と認識したまま大人になる。 なので大人になってもむしろ税金は払わない方がよいと教わることも多いし,ゴミも行政がなんとかしてくれるとしか考えられない。公共は他人事。 生まれてから閉鎖的な個人空間と一部の仲間の世界だけで育てば,公共空間の概念は無いためプライベートのおふざけの世界はどんどん拡大される。リアル空間に公共の概念が無い人間がデジタル空間の公共を認識できるはずもない。デジタル空間におけるブログもTwitterもLINEも彼らにはプライベート空間の延長としてしか認識できていないだろう。インターネットがどうやって成立しているか公共財であることを教わることも無いだろう。そもそもインターネットは誰かが与えてくれるものではなく,自分がその一部として構成するネットワークであったわけだし。その感覚に初期の頃はしびれた人も多かった。 社会を構成する要素としてのパブリック空間における自分の関わり方,責任,どうやってパブリックを良い環境にしていくべきか。 その認識さえできていれば個人のプライバシーデータとパブリックに活用し社会をよくするための集合知データのバランスも理解できるだろうし,個人のリスクと社会のリスク,広く考えれば安全保障の概念を同時に考えることもできるだろう。これは若者だけの問題ではなく,大人も含めて我々はリアルとサイバースペースの融合により拡張されている「パブリック」と「プライベート」の概念を理解する必要がある。そうでなければグーグルグラスはプライベート利用によるとんでもない悪ふざけだらけになるだろう。今後出てくるグーグルグラスのようなデバイスこそ「新しいパブリック」の概念のもとに使うことがますます必要だ。