藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2004年3月26日金曜日

出会い系というビジネスモデル -社会悪か?社会システムか?-

(2004年3月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました) 

出会うという欲望 
「出会い系」というと何を連想するだろうか。新聞紙面を見ると毎日のように「出会い系で出会った男が女性を殺人!」や「高校教師が出会い系で出会った未成年の女性と援助交際で逮捕!!」などの見出しが踊っており,ダークなイメージは強烈である。もっともこうした状況は一昔前に流行ったパーティラインやテレホンクラブでも同じような現象が起こっており,世間一般の扱いはそれらと同様の風俗産業的な印象として捉えられているだろう。警察の対応もテレホンクラブを未成年が利用することが急増したときに,規制強化に動いたのと同様の素早い対応を見せている。すでに児童犯罪の温床として厳しい規制をかけはじめており「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律」が施行されている。 
実際,風俗産業のようにビジネスをしている事業者も多く,さくらを雇って(テレホンクラブの時はさすがに女性の声が必要なのでおばさんのアルバイトなどが話題になったが,ネットの場合はテキストなので男の方が男性心理を理解できるということで男性がアルバイトしていることもままあるらしい。)まで利用者を増やし稼いでいるところも多いと言われている。それでも課金がハードルと言われるネットビジネスの中で月300円から1万円ぐらいまでのバリエーションはあるが,かなりの会員を獲得しており,月商数千万を越えている事業者も多数出現しているらしい。大手で有名なエキサイトのエキサイトフレンズでは会員数が300万人を越えており,このサービスだけで月商も数億円に達していると見られる。このように出会い系はすでにネットビジネスの中でも大きなサービスとして成長しており,その欲望の大きさがわかる。そもそも不特定多数の男女が出会いを求めて集まるサービスのニーズは昔から高い。米国では大手の新聞でも個人広告の欄は昔からの定番であるし,合コンのような出会う為のパーティは恐らく日本中で夜ごと何万組という集団が開催していることだろう。中でも通信サービスはその進化とともに常に男女の出会いサービスの登場を促した。交換機の高度化で可能になったパーティラインやテレクラなどもそうであるし,日本ではキャプテンと呼ばれたビデオテックス網サービスで,世界で唯一成功と言われたフランスのミニテルの成功要因は出会い系サービスが用意されていたからだと言われている。男女の出会いに対する欲求は人間の根元的な欲求であるため,ビジネスとして成立することもある意味自然なことであろう。かつてVTRの普及を後押ししたと言われるアダルトビデオもインターネット上ではVOD(ビデオオンデマンド)としてこちらもすでに一大産業になりつつあり,ITサービスと性的欲望を切り離して考えることは不可能に近い,しかしだからと言って出会い系を風俗産業と決めつけてしまうことも問題である。確かに未成年者の利用や犯罪の温床になりやすいことは確かであり,それを防ぐ手だてを考えることは重要ではある。しかし,出会うという行為は人間社会を形成していくための基本的な行為であり,現在ではネットが出会いの場になって結婚したカップルの数もかなりの数になる。さらにインターネットの出会い系がこれまでのテレクラなどと異なる点は男女の出会いという意外の出会いを実現する仕組みとして大いなる可能性を見せている点であり,その可能性をせばめることだけはしてはいけない。オークションサイトは不要になった自分のハンドバックを買いたい人を見つける出会い系であり,それによりわずかなゴミが減りと地球の資源のいくばくかは救われている。足が不自由な人にとって「みんなのゴルフ」はオンラインゲーム上でゴルフ仲間を見つける出会い系であり,みんなでゴルフをラウンドする楽しむを味わえることができるようになった。数年前に一世を風靡したマーケットプレイスもビジネスパートナー同士の出会い系であるし,現在でも大企業から中小企業,自営業者までインターネットで出会ったところとビジネスをしている企業ははかりしれない。米国ではeBayは中小企業向けサービスに最近力を入れているが,eBayでビジネスをしている企業はすでに50万社もあり,eBay経由での商品の仕入れ額は20億ドルを越えていると言われている。また日本でも金型制作の企業同士をつないだマーケットプレイスで有名なNCネットワークは最近では中国の企業と日本の中小企業を出会う仕組みも構築しており,まさに中国市場と手を組む中小企業の見方となっている。これらの中小企業はこうしたインターネットで不特定多数の企業と出会える仕組みが無ければ,大企業の下請けを続けるか,電話帳で片っ端から営業をかけるか,中国で行脚をするかしか手だてはなかっただろう。 

出会い系の新しいアーキテクチャ「ソーシャルネットワーク」 
このようにインターネットの本質的な機能として,マッチングするという機能がある以上出会い系そのものを否定することは,ある意味インターネットの持つ大いなる可能性そのものを否定することになる。男女の出会い系がもたらす問題から出会い系を社会悪のように捉えるべきではないだろう。むしろ,問題点を解決する努力を行い,出会い系をよりポジティブに進めていくことが必要である。そのためにはお互いの信用担保のメカニズムが鍵になる。オークションサイトでは仲介事業者はフィードバックレイティングなどを盛り込み信用をどのように与えるかで工夫をしている。もちろんそれでも詐欺などの悪意ある犯罪が起こるのは事実であるが,それを100%防ぐことはできず,可能な限り減らす努力を行い続けるしかない。そうした中で最近話題になっているのがソーシャルネットワークと呼ばれるサービスである。友達の友達は友達だという仕組みで,友人関係同士をベースとしている。先ほどの信用のメカニズムでいえば,評価も友人の評価である。確かに男女の出会いでもナンパされたのは印象が悪いが,友人の紹介だとイメージがよい。そうした仕組みを利用し,Linkedinは人材紹介の仕組みを作り上げている。職務経歴書が公開でき,友人にReferenceしてもらえる。Googleが提供していると話題のOrkutは男女の出会い系の仕組みとして機能している。ソーシャルネットワークサービス自体はまだ無料で提供されているものが多く,有料制,アフリエイト,広告などビジネスモデルについては模索中であるが,出会い系の新しい形態としては注目する動きである。 

○「個」の社会を支える出会い系 
これまでの我々の社会システムはある意味出会えないことを前提にした社会システムであった。個人がアクセスし,コントロールできる情報力に限界があった時代は組織を作ることでその力の弱さをカバーするしかなかった。情報伝達が十分にできないことを前提に作られた組織モデルがまさにピラミッド型組織である。例えば司令部から離れたところで戦争をしている時,現地の軍隊の状況は簡単には本部の司令官には届かないため,迅速な意志決定は常にその場その場の最上位の指揮官に委ねられる。そのためには階層構造が必要であった。しかし現代のハイテク軍隊は全ては無線で司令部とつながっており,司令部の指揮官が個人個人とコミュニケーションしながら戦えるようにもなってきた。つまり個人個人が自立した個としてコミュニケーションできる存在になったということである。この構造は一人の自立した個人同士が必要に応じて「出会える」ことで従来の組織への依存度を減らすことを意味する。まさに男女の出会いも従来は組織依存であった。村社会の中での長老に決めてもらう,地域コミュニティの中でのお見合,企業がお嫁さん候補として女性社員を雇う時代など出会いは組織体の信用構造の中でメカニズムとして作られていた。しかし,出会い系は自分一人の力で数多くの中から自分に会う女性と出会うことを簡単にしている。つまりこのことはインターネットが組織に依存した個人を一人一人の個として解放し始めていることを証明している。個人の力はインターネットにより確実にエンパワーメントされており,恋愛も仕事も趣味もボランティア活動も大きな組織に属さなくてもかなりの活動ができるようになってきている。例えば明日大企業をあなたがリストラされたとして,かつては途方にくれるしかなかった。職業安定所に行って新しい仕事を探すぐらいしかなかったかもしれない。しかし,今は自分のやりたいことを理解してくれる相手を世界中から見つける道具はあなたの目の前に存在しており,その仲間やお客さんを捜すことは決して難しいことではない。現在の風俗のような出会い系で普通の16歳の女子高校生が日本中の大人達に自分の魅力をアピールできていること自体がインターネットの強力さを実証している。それが性的な魅力だけになれば風俗であろうが,芸術分野やビジネスのスキルであれば,誰もが後押しする話になるだろう。そういう意味では出会い系こそが自立した個人を中心にした社会システムを構築するためのもっともベースのビジネスモデルであることを再認識する必要があるのではないだろうか。 

これまでの社会システムは組織という単位を中心に構成されていた。それは行政もその方がコスト的にも色々な意味では管理しやすく,個はとても弱い存在であったからである。税金や保険も企業を通じて徴収する方が効率的であるし,社会単位としても家族という単位で捕捉しておいた方がわかりやすい。しかし,インターネットの普及とITは個の力をエンパワーメントすることに成功した。個単位で管理することを現実的に可能にしたし,実際の単身世帯は老人から若者まで増加している。社会保険制度の議論でも家族に従属するものとして個として無視されてきた専業主婦の考え方を変えるなど少しずつ社会の最小単位を一人の個とし意識する動きは出始めており,この動きはますます広がるであろう。企業も個の集合体として動的に変化しつづける組織になるだろう。家族の考え方も変わるかもしれない。結婚制度も離婚はする方が普通になり,常に個々の状況の中で最適な組み合わせを何度も構築するようなスタイルになるかもしれない。ある意味個は自立すればするほど,個同士のつながりを求め,常にそれを最適化する欲求は高まる。自立した個同士がつながりあう姿こそ,自律分散型のインターネットのアーキテクチャに他ならない。つまり信頼性が高く個人個人の自己実現と生き方の選択肢を手に入れるためには,様々な「出会い系」が用意され,それを自立した個人として自己責任を教育された個人が利用できる社会システムこそ。これからの豊かな社会のアーキテクチャを指し示しているのではないだろうか。

2004年3月1日月曜日

地域再生と知識社会のために必要な図書館再構築

(2004年3月日本経済新聞電子版の「ネット時評」に掲載されたコンテンツを編集しました)

地域再生と知識社会のために必要な図書館再構築

○制度疲労が進む図書館
図書館の制度披露の問題はここ何年も指摘されてきているが,地方自治体の財政難がますます顕著になる中でさらに問題は深まっている。追いつかない膨大な図書の収集,年々複雑に進歩するITへの対応の困難,そして一般に流通している有料書籍を無償で貸し出す仕組みに著作者,小売店からも疑問の声が増えている。貧しい時代はシビルミニマムの概念に入っていたかも知れないが,豊かになった現在では民業圧迫のひとつとしてやり玉にあがっている。現在の図書館法は昭和25年に作られたまま細かな改正しか行われていない状況である。もちろん図書館の職員の人々も解決策を模索はしているが,司書を中心とした制度の中では,民間人の登用は進まず,古い制度の中でもがいている感は否めない。

求められるビジネス図書館
そうした状況の中で,近年ビジネス図書館に対するニーズは高まっている。これまでビジネス図書館は専門図書館の一部として,企業内や特定業界の資料のアーカイブ的な側面が強かったが,ベンチャー起業家,SOHOの増加などからも公共図書館レベルでも強いニーズが顕在化している。米国などではNPOなども活用しながら,公共図書館でも様々なビジネス支援サービスが充実しており,図書館が起業の拠点となっている。日本の公共図書館の中でも先進的な取り組みで知られる浦安図書館でも10年ほど前からビジネス支援サービスを展開しており,評価は高い。しかし, ほとんどの公共図書館においてはまだビジネス支援に対する取り組みはほとんどされていないのが実情である。一方民間の図書館の中でもユニークな例が出てきている。筆者もメンバーになっているが,六本木ヒルズのアカデミーヒルズライブラリーは社会人向けスクールの学生の学習拠点と会員制の知の交流を促す知的スペースや会議室など施設を組み合わせたとした新しいスタイルの図書館を目指している。実際ベンチャーのスタートアップの拠点としても活用しており,筆者が見ているだけでも3社ぐらいはオフィス代わりに活動をしている。さらに弁護士からベンチャー経営者,ジャーナリストなど多様なメンバーが会員にいることから交流も自然発生的に生まれており,その中から新しいビジネスアイデアを生み出すような場が生まれつつあるところも期待できるところである。

地域のナレッジセンターとしての位置づけ

地域の産業メカニズムは危機的な状況におかれているところも多い。サービス産業のチャンスの多い大都市圏は別として中国などへの工場移転などから,雇用の創出力が衰えている地方都市などでは新しい成長産業の誘致や育成にやっきになっている。しかし,本来地域経済においては地域密着型のパン屋さん,工芸品,観光業などマイクロビジネスの積み重ねなく,ウルトラCの目玉を作ることは難しいはずである。しかし,現状は地元の人がそうしたマイクロビジネスを立ち上げようにも,地域に根ざした知識情報を集約されているところは少ない。県立や国立大学がその役割を果たしているところもあるが,街の飲食店のオーナーが観光客向けに新しいメニューを考えるための情報収集と交流拠点などは大学というよりは身近な拠点が欲しいはずである。筆者はそうしたニーズに答える拠点こそ今後の図書館のあり方だと考える。もちろん起業を促す箱物のインキュベーションセンターは各地に点在しているが,ITインフラと家賃が安いだけで箱だけというところが多く。活用されているところは少ない。今後知識社会に向けて日本国内で起業する多くの人々にとって何よりも必要なのは,箱ではなく,技術と文化に根ざした知識の取得と創発できる多面的なネットワークと資金を手に入れることである。そのために図書館はどこでも手に入るベストセラー小説を貸すよりは,地域に根ざした技術と文化,ライフスタイルに関する知識の確実な時系列での蓄積と,広く人的交流を提供できる運営体制に今すぐにでも方向転換するべきである。図書館の箱を作ることにPFIを導入したから民活だという地域もあるようであるが,作り方ではなく,本質的な図書館の役割から,民間やNPOの力を導入し,閉鎖的な運営体制の改革も行う時は来ていると考える。地域のITインフラの議論は終わったわけではないが,自律的な進展が期待できる段階に来た今後は,上流のレイヤーである知識サービスの充実こそがITも絡めた地域再生の本質的な切り札ではないだろうか。