藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2002年12月26日木曜日

Mosaic誕生から10年。そして次の10年へ向けて。 -デジタルコミュニケーションをシビルミニマムに-

(2002年12月日本経済新聞電子版の「ネット時評」に掲載されたコンテンツを編集しました) 

1993年は衝撃的な年だった。
クリントン政権が誕生し,情報スーパーハイウェイ構想が提唱され,さらに92年の夏に米国でFCCADSL技術をベースに「ビデオダイヤルトーン」という電話会社も映像を流すサービスを行ってよいという判断をしたことが,マルチメディアブームに火をつけ,多くの電話会社やCATV会社が93年から一斉に実験などにとりくむことになる。まさに巨大資本が一斉にマルチメディア市場になだれを打ち始めたその中で,イリノイ大学の若きマークアンドリーセンが世界初の本格的WWWブラウザ「Mosaic」を開発した。初期のテストバージョンがインターネットに公開された段階ですでに衝撃を世界に与えたが,年末にはβ2というほぼ完成されたバージョンが公開され,世界中にどんどんホームページが誕生していくことになる。まさにインターネットが新しいステージに突入し,世界のデジタルコミュニケーションの共通言語が誕生した瞬間だった。
我々は今年2003年を迎え,あれから10年の月日が過ぎ去った。あまりに速い社会の動きの中でインターネットはまだまだ新しい現象と見られていたが,すでに10年の時が流れている。10年一昔とはよく言ったものだが,もはや科学者だけのものではなく,エバンジェリストの予言でもない。1996年のメカトーフのインターネット崩壊の予言は外れた。新しさで言い訳を続けるにはあまりに長い時間が過ぎ去り,紛れもなくこのデジタルコミュニケーションはT型フォードが登場したことによるモータライゼーションと同様の社会変化を起こしていることをもはや誰も否定はできない。これまでが我々の社会がこの技術を受け入れる10年だとしたら,次の10年はいよいよ技術の上に政治や社会システム,産業を再設計する10年であるべきだろう。

そういう意味ではこの10年は「部分最適」に努力した10年だったと言える。ITは工業化社会の高度化のしもべと見なされ,改善とコスト削減の旗の下で徹底的な効率化革命の武器として使われてきた。しかし,そのことが,工業化社会をさらに押し進める結果となって,デジタルコミュニケーションによる新しい仕組みの構築を妨げることになったのは皮肉な結果と言える。工業化社会の大量生産・大量消費が地球の永遠の幸福でないことが判明している以上,デジタルコミュニケーションによって豊かさと文化を育み,多様性を許容し,最適生産,最適消費,最適循環を行う知識情報化社会への仕組みの再設計を「全体最適」として行うことは,次の10年の我々に与えられた使命であろう。
そのためには資本効率の最適化を目指す資本主義のメカニズムに任せるだけでは難しいことも見えてきた。だからといって国家計画で進める社会主義的メカニズムに戻ることもないだろう。お金やルールで動かすのではなく,共通の認識や理念を共有していくことで自律的に全体最適を目指していくメカニズムが必要になる。
しかし,優秀な政治家や官僚や経済人やアントレプレナーやNPOの登場が解決してくれることを待っていてはさらに10年がかかるだろう。まさにこれを読んでいる方や我々自身が日々の仕事や活動の一つ一つの中でどれだけそのことを意識できるかにかかっていると言える。バブル崩壊の不良債権は一人一人の力でどうにかなるものではなかったのかも知れないが,仕事の進め方,顧客との関係,地域コミュニティ,自治への参加,知的好奇心や多くの出会いをデジタルコミュニケーションにしていくことは一人一人の参加によって実現されるものであり,それは社会に参加している成人にとってはもはや誰かから与えられるものでなく,自ら学び,習得し,参加する必要のあるシビルミニマム(都市住民の最低限の水準)のひとつとするべきだと筆者は考える。


Mosaicの衝撃から10年,確かめたり,様子をみたり,待つ時は終わった。個人個人がデジタルコミュニケーションを自分の幸せのために確信して使うこれからの10年にすることが,未来を切り開く新しいメカニズムへの移行を実現する唯一の近道なのではないだろうか。