藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2008年2月13日水曜日

消費者庁は自己責任社会を前提にした議論を モンスター化するコンシューマとフィルタリング問題

(2008年2月日本経済新聞電子版の「ネット時評」に掲載されたコンテンツを編集しました)

ここのところのメーカーの偽装問題や食の安全に関する話題で消費者を保護するための消費者庁創設への勢いは日増しに強くなっている感がある。
確かに消費者は弱者であり,強者である企業は常に監視され,社会の公器として責任を追及される存在であるという考え方はもっともであり,正しいことであると筆者も考えるが,現在はその論理が支配する中でひとたび非難の声があがれば,感情的になったITによってエンパワーメントされた個人はネット上の2ちゃんねるやブログなどの消費者発信メディアによって主張を増幅させ,さらにマスメディアがさらに相互作用によってそのムーブメントを爆発させ,非常に大きなエネルギーとなり企業や個人を襲うようになりつつある。襲われた方はとにかく謝罪である。反論したりしようものなら,その態度がいけないと猛烈な批判にさらされる。確かに責められる方に非があるため,もはやひたすら謝罪し,嵐が過ぎ去るのを待つしか無いという状況である。そしてその対象は企業のみならず芸能人や政治家など個人までも社会の公人としてその様々な発言のひとつひとつまでもが責任を追及される状況になっている。このように非対称的な立場にある関係がいびつになっている現象は他にもいろいろある。例えば,理不尽なものを含め一方的な主張を繰り返すモンスターペアレンツが学校現場で問題になっているが,このバランス感覚を失った親の主張は教師達を萎縮させ,教育現場を多大な混乱に陥れている。しかし,サービスを享受する立場の生徒とその親は強い発言権を有しているため,彼らを制するメカニズムが存在しない。同様に救急車の問題もそうである。最近軽い怪我の人が気軽に救急車を呼ぶケースが増え,出動回数が増えたため,重傷者が救急車に乗れない事態が起きているという。怪我をした人は救急車に乗る権利をもっているが,軽い怪我で病院までのタクシー代わりに使われては,そのコストを税金で負担することが望ましいのか当然大いなる疑問がわく。しかし救急車側が乗車を拒絶することは立場上非常に難しい場面も多く,適正は判断は利用する側に委ねられている。これらのように権利を有している人が,大局的に物事を考え,何が大事なのかを判断する力を失い一方的に意見を主張し,それを多少でも認める方向に動くことが社会のコストを増大化させようとしているのではないかと筆者はとても危惧している。賞味期限がさらに厳格化されることで廃棄される食料はさらに増大化するのではないか。輸入された食料を全部検査するために膨大な検査人員が必要になるのではないか。株主のためにあらゆる社員の行動を監視することに膨大な投資を行う企業・・・。親の要求に全て応える学校・・・。あらゆるけが人に対応する救急体制・・・などなど本当にこれが正しい社会の姿なのだろうか。
そしてこれらの大きな問題は,本来社会の様々な制度を立案する正しい判断を行うべき政治家も,こうした劇場型世論形成のメカニズムの中で,モンスター有権者の動向に判断のバランスを崩されかねない状況にあることである。現在携帯電話の有害コンテンツを規制するべきという「フィルタリング問題」が話題になっているが,これは出会い系サイトや自殺サイトなどを利用した未成年者が事件に巻き込まれることが増えているという理由で,相互にコミュニケーションを発生するような掲示板を有しているサイトは親の許可が無ければほぼデフォルトで全部未成年に利用させないようにしようという動きであり,政治家にとってわかりやすく子供を持つ親の心情に答える政策であるが故に熱心に進められている。しかし,これにより,多くの携帯コミュニティサービスを未成年者が突然利用できなくなるという状況が生まれつつある。確かに誰もが危険から少しでも子供を遠ざけたい気持ちは同じであるが,バランスをとった議論を行う前に,感情論で一方的にくさいものは全て滅んでもよいというような方法論を持ち込むことは非常に危険である。これにより,携帯ネットを通じて自由な創造性を発揮し,携帯小説を発表していたような子供達の活動の場まで一気に閉じてしまうことになり,これからの日本発の競争力のあるイノベーションが多数生まれる可能性のある若い世代の携帯活用を本当に制限してよいのかを真剣に考えるべきだろう。
そもそも多様なネットが生み出すイノベーションは新しい問題を引き起こす。しかし,それを社会的にある程度許容しなければ新しい技術イノベーションなどは生まれるはずがない。消費者がパワーを持ちつつある現在もっとも弱い立場におかれているのはイノベーションを起こそうという人々である。彼らは社会のルールに様々なトラブルを起こす可能性を秘めたものを多数生み出そうとしている。しかし,消費者保護の名前の元にそれらのイノベーションに対する試みを全て排除してしまうことは大きな損失である。これらを保護し,インキュベーションしていくための特区などの施策がますます重要になるだろう。


このように消費者庁を組織化する議論の中で,バランスを作るメカニズムを検討することをお願いしたい。何が重要で,何を優先するべきなのか。セーフティネットをどこで引くべきか。どんなに消費者のためになることでも全てのコストを税金で負担するのは現実的に無理である。ITは個人に個としての大きな力を与えようとしている。しかし,それは我々がさらなる自己責任社会に進むことも意味している。その原則を確認しなければ,社会コストは膨らむばかりである。消費者庁はまずその自己責任社会の啓蒙とセットの上で消費者を守るという方針を打ち出すべきだと考える。